百孝を一行に変える力
今日も色々と活動的に過ごせた。
出勤練習もしたしジムにも行ったし、
筋トレも有酸素もして、
区民税も都民税も払って
散歩もしたし。
行動するというのは
抑うつには効果的な気がする。
ただ行動できないから抑うつになるのかも。
それは鶏が先か卵が先か、のような問題。
最近になって、ようやく自分が馬鹿なのだ
と認められるようになった。
受験戦争、就職戦線。
今の30代の方々から比べたら、
僕ら40代なんてかなり恵まれていて、
それでもやっぱり、勝ち負けのある社会で。
だけれども自分は、履歴書美人なものの、
中身が供なっていなかった。
馬鹿である事は全然恥じる事ではない。
そんな気がしている。
むしろ学ぶべき事がたくさんあるのだから
それは喜ばしい事なのだ。
以前の職場で、「考える事が何より好き」
といったタイプの上席の方が居らした。
彼もスモーカーで、
それはそれは良い話し相手だった。
今の職場では、面白い話しの出来る人間が
余り居ないので困った事になる。
僕は馬鹿だ、と書いたが、
正しく言うと「論理性に欠ける」ということだ。
良く「センスがいい」と言われるし、
自分でも直感力が良いと思う。
僕は音楽を愛しているが、
作曲をするよりも演奏する方が
向いているような気もする。
それも、演奏というよりも即興だ。
譜面を読むという作業よりも耳で憶えるタイプ。
今まで直感のみで良く生きて来られた
ともしみじみ思うが、これからも
何となく(この時点で論理を超えているが)
直感で生きていける気がしている。
こうしてブログをまめに書いているが、
キーボードを叩くという作業が心地よいのだ。
前回の旅で「写経」というのを初めてやったが
あれは「譜面通りに演奏する」という感じの
作業だった。
即興は許されない。
論理性を超えた思考と即興性。
これが僕の人生の全てだった気がする。
クリエイティブと言えば聞こえが良いが、
「その場しのぎ」と言われても仕方がない。
引きこもりの頃は、
頭の中で考えがぐるぐると堂々巡りしてしまい、
結局何も行動に結びつかなかった。
たまに躁的になって、
「思いつきで行動する」ものだから
後で考えて落ち込んだり、
無理矢理自分を納得させようとしたり。
今ではだいぶ落ち着いて、
あまり突発的な行動には出ないが、
マンション購入なんて、
数千万の大きな買い物の割には
かなり「思いつき」だった。
しかし、住まいを買って
安心した部分もある。
ところで僕は馬鹿なくせに
プライドも高い。
好きな住所に
眺望の良い南向きのマンション。
それで僕のプライドは
かなり満たされてしまった。
プライドというのは、
本来は人間性に求めるもの
であるはずだが、
自分というものの得体の知れなさを思うと
どうも自分にプライドは持てそうにない。
履歴書は美しくても
本当の自分の
心の醜さを知ってしまった今では
なかなかプライドなど持てない。
人間の気質は長い目で見れば変わる
と精神科医にも励まされた。
長い時間をかけて、
自分自身にプライドを持てるように
なれれば良いと思っている。
今は半ば、
自分自身のプライドは捨てている。
住まう所という集約された象徴があって
それ以外は殆ど慎ましく生きている。
プライドというものも厄介で、
余り「自分は特別」と「オレ流」に生きていると
ろくな事がない気もする。
(因にゲイ・パレードは
「プライド・パレード」とも言われるが、
僕はリベレーションには
中立的な立場です)
復職後の自分も
「バリバリ働いている自分」は
何となく想像できなくて、
けれども40も過ぎると、
会社という組織でどんな人間が
出世しているかは何となく分かるし、
そもそも出世など興味のなかった僕は
とにかく「プライドを捨てて」
心を丸く持ち、
地道にコツコツやってけば
何とかなるという気もしている。
世に名をなした人は
その実績を買われている訳だ。
「樽の中の哲学者」も居るが、
「百孝は一行にしかず」ということわざもある。
(ホントかな)
やり逃げは良くないが、
人生、しょせんはやったもん勝ち。
美意識を誇るプロフェッショナル
などになる必要などないのだ。
快適なアマチュアで良いんだと考えれば
色々と空想が膨らむ。
そこそこ仕事ができて
好きな場所に住んで
たまに気ままな旅行もして
普段は慎ましく
年に1〜2回は贅沢な食事をして
頼もしいパートナーと
二人で暮らす。
これくらいなら
出来るんじゃないかなあ。
全然悪くない。
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