2008年7月 8日 (火)

百孝を一行に変える力

今日も色々と活動的に過ごせた。
出勤練習もしたしジムにも行ったし、
筋トレも有酸素もして、
区民税も都民税も払って
散歩もしたし。

行動するというのは
抑うつには効果的な気がする。
ただ行動できないから抑うつになるのかも。
それは鶏が先か卵が先か、のような問題。

最近になって、ようやく自分が馬鹿なのだ
と認められるようになった。
受験戦争、就職戦線。
今の30代の方々から比べたら、
僕ら40代なんてかなり恵まれていて、
それでもやっぱり、勝ち負けのある社会で。
だけれども自分は、履歴書美人なものの、
中身が供なっていなかった。

馬鹿である事は全然恥じる事ではない。
そんな気がしている。
むしろ学ぶべき事がたくさんあるのだから
それは喜ばしい事なのだ。

以前の職場で、「考える事が何より好き」
といったタイプの上席の方が居らした。
彼もスモーカーで、
それはそれは良い話し相手だった。
今の職場では、面白い話しの出来る人間が
余り居ないので困った事になる。

僕は馬鹿だ、と書いたが、
正しく言うと「論理性に欠ける」ということだ。
良く「センスがいい」と言われるし、
自分でも直感力が良いと思う。
僕は音楽を愛しているが、
作曲をするよりも演奏する方が
向いているような気もする。
それも、演奏というよりも即興だ。
譜面を読むという作業よりも耳で憶えるタイプ。

今まで直感のみで良く生きて来られた
ともしみじみ思うが、これからも
何となく(この時点で論理を超えているが)
直感で生きていける気がしている。

こうしてブログをまめに書いているが、
キーボードを叩くという作業が心地よいのだ。
前回の旅で「写経」というのを初めてやったが
あれは「譜面通りに演奏する」という感じの
作業だった。
即興は許されない。

論理性を超えた思考と即興性。
これが僕の人生の全てだった気がする。
クリエイティブと言えば聞こえが良いが、
「その場しのぎ」と言われても仕方がない。

引きこもりの頃は、
頭の中で考えがぐるぐると堂々巡りしてしまい、
結局何も行動に結びつかなかった。
たまに躁的になって、
「思いつきで行動する」ものだから
後で考えて落ち込んだり、
無理矢理自分を納得させようとしたり。

今ではだいぶ落ち着いて、
あまり突発的な行動には出ないが、
マンション購入なんて、
数千万の大きな買い物の割には
かなり「思いつき」だった。

しかし、住まいを買って
安心した部分もある。

ところで僕は馬鹿なくせに
プライドも高い。
好きな住所に
眺望の良い南向きのマンション。
それで僕のプライドは
かなり満たされてしまった。
プライドというのは、
本来は人間性に求めるもの
であるはずだが、
自分というものの得体の知れなさを思うと
どうも自分にプライドは持てそうにない。

履歴書は美しくても
本当の自分の
心の醜さを知ってしまった今では
なかなかプライドなど持てない。
人間の気質は長い目で見れば変わる
と精神科医にも励まされた。
長い時間をかけて、
自分自身にプライドを持てるように
なれれば良いと思っている。

今は半ば、
自分自身のプライドは捨てている。
住まう所という集約された象徴があって
それ以外は殆ど慎ましく生きている。
プライドというものも厄介で、
余り「自分は特別」と「オレ流」に生きていると
ろくな事がない気もする。
(因にゲイ・パレードは
「プライド・パレード」とも言われるが、
僕はリベレーションには
中立的な立場です)

復職後の自分も
「バリバリ働いている自分」は
何となく想像できなくて、
けれども40も過ぎると、
会社という組織でどんな人間が
出世しているかは何となく分かるし、
そもそも出世など興味のなかった僕は
とにかく「プライドを捨てて」
心を丸く持ち、
地道にコツコツやってけば
何とかなるという気もしている。

世に名をなした人は
その実績を買われている訳だ。
「樽の中の哲学者」も居るが、
「百孝は一行にしかず」ということわざもある。
(ホントかな)
やり逃げは良くないが、
人生、しょせんはやったもん勝ち。

美意識を誇るプロフェッショナル
などになる必要などないのだ。
快適なアマチュアで良いんだと考えれば
色々と空想が膨らむ。

そこそこ仕事ができて
好きな場所に住んで
たまに気ままな旅行もして
普段は慎ましく
年に1〜2回は贅沢な食事をして
頼もしいパートナーと
二人で暮らす。

これくらいなら
出来るんじゃないかなあ。

全然悪くない。

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2008年7月 7日 (月)

優しい人、自閉症

今日は七夕である。
このブログも去年の夏頃から付け始めて
もうすぐ一年なので、過去のページを見てみた。
悲しいくらいに書きなぐっていて、
痛々しいくらいに自己完結している。
そして、やはりオツムの具合が尋常じゃない。
悲しいのだが、喜ぶべきは過去の自分を目の当たりにして
それなりに進歩がある、という事だ。

今日は、産業医との面接があり、
今回はリフレッシュ直後という事で、
晴れやかな気分で臨めるという自信があった。

行きの電車の中はもの凄いラッシュ。
新宿を過ぎたあたりで席が空いたのですかさず座る。
となりに太った男が座っていて、
まあお互いに身体が大きいのでもぞもぞしていると
ヘッドフォンステレオをして自分の世界に入り
目を閉じつつも、明らかに自分のスペースを広げようと
太い股をムチムチと押し付けてくるので、
軽くたしなめようと思ったが、つい大声で怒鳴ってしまった。

でも、怒鳴って多少すっきりして
落ち着いた気分で面接に臨む。

「お具合いかがですか?」
「はい。前回伺った時よりもだいぶ良く、
 出勤の練習も出来ているし、そろそろ復帰をと
 先生のご意見を伺いたいと思って」
「どのように毎日過ごされていますか?」
「会社の近くの駅まで来て、軽く書き物をして
 お昼を食べて帰宅したりしています」
「午後は何をされているのですか?」
「ジムに行ったり、近くを散歩したり」

昨日のパートナーとのやり取りから学んで
ニコニコと愛想良く会話しているつもりなのだが、
精神科医の気難しい顔と、時たま口ごもって
天井を見て考えている姿を見ると、何だかいつもの
彼のペースに巻き込まれていく。

「確かに前回の様子よりも良いのですが、
 どうでしょうか、もう一段出社した時の事を考えて
 色々やられたらどうでしょうか?」
「そうなのですが、何もせずに家に居ると益々
 落ち込んだり眠れなかったりする気がしているのですが」
「確かに○○さんのおっしゃる事も分かりますが、
 出勤が始まると、今よりも負荷が増えることは間違いないですよね」
「はあ」
「私は何も○○さんのおっしゃっている事を全て否定するわけ
 ではないんですよ。ただ○○さんはかなり楽天的な考え方を
 されている気がして」

二の句がなかった。
抑うつの人間に対して
「楽天的すぎる」という言葉もいかがなものか。
少々「変だな」と感じるが、努めてニコニコしている。
ニコニコすると彼は気難しい顔をするので、
今度は僕が気難しい顔をしてみる。
そうすると彼は急に気弱な微笑みを浮かべる。
合わせてニコニコすると、また気難しい顔をされる。

変だなあ。

内科の産業医とも面接があり、
何だか疲れてしまって、職場には寄らずに帰宅する。

晴れやかな気分が消えてしまったので
i-Podで音楽を聴く。
サンボマスターのバラードが流れる。
小雨まじりの天気にぴったりの「コースター」と言う曲。
続いて、アップテンポの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」が
流れた所で、不意に寂寞とした気持ちが込み上げてきて、
目を閉じると涙がほほを伝った。

怒ったり泣いたり。
でも笑顔がなくて、ちょっと寂しい小雨まじり。

帰宅して、心を落ち着けるためにいつもの公園を散歩。
心を通電状態にする。

母に面接は終わりました、とメールをすると、
「どうでしたか?」と返信が来たので、
「イマイチでした」と打ち返す。
すると「短気は損気。急がば回れですよ」と返ってくる。
昨日はブログで「急がば回れ」というタイトルで
書いてみようとも思っていて、
産業医とのやり取りや、朝の車内での罵声の事を
詳しく伝えていないのに不思議な感じがする。

以心伝心。

豊かな想像力を持って考えているだけで
周囲の環境も変わっていくのかな、とも漠然と思う。
以前に「引き寄せパワー」の話しに眉唾とも書いたが、
そんな単純な事ではなくて、
「想像するという事は、
 その事自体で何らかの力を持ちうる」
と考えざるを得ない気持ちなのだ。

想像力を欠いた虚ろな人々。
何度も書くが、村上春樹の小説で印象深かったフレーズだ。

僕はそもそも会話が下手なのだと思う。
小さな頃は自閉症気味で、
「耳が聞こえないのではないか」と母に心配された位だ。
話しかけられても返事が出来ない子供だった。

会話というのはとても難しい。
僕はよく、相手の話しを聞いている途中で
自分が次に話す事を考えてしまい、
結果的に相手の話を聞き逃してしまう、
という事がままあった。
それは会話にゲーム性を求めてしまうときに多い。

プロテニスのラリーを見ていると楽しい。
ゲームというのは意外と人間の本質を表している気もする。

父と話しているときには
明らかに彼が会話にゲーム性を求めているのかが伝わって
とても疲弊してしまう事がある。
自分の思う方向へ結論を導くためには
人の話を聞いてはいるものの、
いちいち想像力を駆使している暇などないのだろう。

寡黙な人が自閉症だとは思わない。
むしろ多弁な人こそ自閉症なのだ。

想像力を駆使するというと
「相手の気持ちを思いやる」とかの「優しさ」だけが
強調されている気がするが、
「優しさ」だけでは本当の想像力を培えない。
無限に広がる想像の世界でこそ
芯の通った強さが必要とされる事がある。

そして多弁で相手を論破する事に終始する
わがままでドミナントな父も、
実は自閉症で、本当は優しい人なのだ。

優しさに終始していると
自閉症の世界から飛び出す事は出来ない。

回り道をしている途中でつらつらと考える。

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2008年7月 6日 (日)

ゲイの倫理観

昨日の日記に書いた通り、気分が晴れやかで、
それは今の所続いている。
人間の関係とは面白いもので、
晴れやかな気分で居た今日は、パートナーと
過ごす週に一回の日曜日のひと時を楽しくさせた。
きっといつもは「腫れ物に触るように」僕と接していた
のかとパートナーの事を思うと、
僕自身が明るく居られる事が、彼の幸せにも繋がるのだと
まあ能天気だが、そう思う。

ジムでの運動もいつもは「なるべく効率よく終わらせる」
のが常だったが、今日は時間をかけて楽しめた気がする。
ジムの鏡に向かって脚の筋肉を誇らしげに見せる彼が
何となく可愛くもあり、彼を選んで本当に良かった
と思わせられる一日となった。

不謹慎な話にも聞こえるかも知れないが、
彼と最初に出会ったときに、正直タイプではなかった。
当時の僕は、個性的な(こちらの世界で)有名な方々と
付き合って、かなり心が荒んでいて、
「彼となら気楽に付き合える」、
つまり「愛するよりも愛される事」を望んだのだ。
その分、彼には僕が出来る限り最大の力で、
誠意を持って付き合った。

それは「浮気をしない」とかいう問題ではない。
彼の知らない世界を見せてあげること。
生真面目で人付き合いも積極的ではない実直な彼だったが、
例えば、色々な所に旅行に連れて行く。
色々な友達に紹介して、オネエ言葉までしゃべれる
ように心を開かせた。

と自負している(彼がこれを読んだらどう思うかな?)。

僕は「ゲイとはこうだ」とか「こうあるべきだ」とか
あるいは「ゲイなんだから仕方ない」とか言う人を
余り信用していない。
人それぞれ考えがある事は認めつつも、
ゲイを語る人間(例えば「活動家」と呼ばれる人)は
意外と「ゲイである事」に執着しすぎていて、
うっかりと大切な事を見失いがちであるのでは、と思う。
(もちろん例外もたくさん居る)

ゲイはセックスに奔放な人が多い気もするが
(これは以前の自分に「大いに」あてはまる)、
いわゆるオープンリレーションシップを否定する人間もいる。
セックスを重要なコミュニケーションととらえる人も居れば
「単なる挨拶代わり」と考えている人も居る。

子づくりの義務がない分、欲望のままに性生活を謳歌
していた自分だが、40を超えて
性欲とはまことに厄介なものだと改めて思う。
あったらあったで厄介だが、なければないで生活に張りも出ない。
今でこそ減退した性欲だが、全くなくなった訳ではない。
そんな時は行きずりに身を任せる事も年に数回はある自分だが、
ファッション雑誌を見ているとバーゲンに行きたくなるのとは逆に
ゲイ雑誌(多くのゲイは雑誌やビデオのたぐいを一つは持っている)
を読まなくなった自分の性欲はとても自然に減退した気がする。

そもそもゲイの幸せとは何か?と問われると意外と難しい。
(それこそ「人それぞれ」なのだが)

古い(ノンケの)人間はよく、「嫁より親を大切にしろ」
などというが、ゲイで「嫁より親を大切にしている」人間は
余り居ない気がする(シングルのゲイには居るかも知れない)。

自分の場合は、親の期待に添うように進路を決めてきた結果、
無理がたたって、セックス依存になったりしていた気がするので、
「親より嫁(まあ旦那だが)を大切にしよう」と思っている。
それは親を愛していないというのとは全く違って、
「親の愛(と呼べるのかはまだ分からないが)にコントロールされる」
という事はもう止めよう、と決意した、という事なのだ。

他のゲイの事ははっきりと分からないが、
僕はとにかく「面白いことが大切」というスタンスでやってきた。
面白い→幸せ、とは決して言えない気がしている。
面白い(例えばキンキーな)セックス、
面白い(例えば複雑な)肉体関係。
面白い(あるいはスリリングな)恋愛の駆け引き、
面白い(あるいは興味深い)個性的な人。

パートナーを見ていると、実に「まっとう」で
それは「可笑しい事には笑い、腹立たしい事には怒る」
という自然な感情の発露が、とても健全でまぶしいのだ。
それと同時に安心できる。
何故なら彼は「絶対に」泣かないのだ。
彼は強い。今まで会ったどんな人よりも。

数々の失敗を経験して、警戒心の固まりになっている
今の自分にとっては、安心こそが何物にも代え難い幸せである。
(あれ、なんだか今回は保険会社のコピーみたいだ)

まあ、だからといって頑固親父も病気がちな母も
大切に思わない訳ではないのだから、それで良いと思います。
「愛」(と彼らは主張する)はもう十分に頂いた。
えっと、だからといって貰えるお金はもらっておきます。
その分、親孝行はしたいと考える次第であります。

シノゴノ言いましたが、この晴れやかな気分を
大切にしたいと思う。
「人生とは面白いものだ」と斜に構えるのではなく
「人生とは楽しい」と笑える日々が来ますように。

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2008年7月 5日 (土)

リフレッシュ

ミクシィで知り合ってから、一度だけ会って、
殆ど会話もせずに別れて、その後も殆ど
メッセージのやり取りもした事がない人と
4日間ほど日本の西の方を旅してきました。

ゲイであること意外は、特に深く知らない
その年下の彼(以下A君)は収入も不安定な自由業で、
今回は何処にしようかと散々話したあげくに
殆ど彼がプランを立ててくれた。

一応、病欠中である身であり、旅行も基本的には
してはいけない事になっているので、詳しい事は
書かないが、とても楽しかった。
前もって計画を立ててもらったものの、殆ど
「袖ふれあうも他生の縁」の世界で、
お互いに余り気を使う事のないように、
お互いのやりたい事をその都度やった、という
感じの旅行だった。

友人と数時間一緒に居るだけでもストレスを感じていた
自分にとっては、今回の旅行は、心理的にはちょっとした
冒険だったのだが、夜行で行く見知らぬ土地という事が
かえって余計な想像力を押さえて、「とにかく旅を進める」
という事に意識が集中していて良かった。

僕は基本的に旅が好きで、あれこれとプランを立てるのも
大好きな方なのだが、何せ旅行に行こうと決めた
その日の夜に東京を離れたので、プランも何もあったもの
ではなく、「行けば何かが待っているだろう」という風まかせ。
旅立つ日は丁度、給与の停止と区民税の納付の書簡が届いた日
でもあり、気分的にはかなりふさぎ込んでいて、
半ば「ええい、ままよ」と投げやりな気持ちもあった。

A君はうつを患った経験もあるとは言ってくれては居るものの、
僕が薬物依存だったことやHIVである事は伏せておいた。
こうしてブログではイジイジと書き綴っては居るが、
彼と話しているうちに、せっかくの旅行でそういう
「お悩み相談役」にまわってもらうのは可哀想な気がしてきた。

精神が不安定で不眠である事は苦痛だが、
それを話してますます自分の殻に閉じこもってしまうのは
余り前向きではないな、と気づかされる。

僕は余りにも過去に囚われ過ぎていて、その結果
「白紙であるはずの未来」を勝手に(悪い方向へ)書きなぐって
いたような気もしてきた。

旅の最初は、新鮮な驚きで明るく振る舞っていたものの、
やはり言動の端々にネガティブさが出てしまって、
そんな自分も嫌になってきて、心が揺れる場面があった。

「心が揺れる」という事は大事な事なんだなと改めて思う。
毎日殆ど一人で過ごし、嫌な事は一切やらないという生活は
それはそれで不健全なのだ。

友人でご親族の遺産を9桁半ばほど手にした人間が居る(以下Bさん)。
彼のマンションに遊びにいった時の事を思い出した。

当時僕は水晶などの石にハマっていて、
ラブラドライトで出来たお数珠をしていた。
彼の部屋にはガラスの飾り棚が合って、
珍しい水晶で出来た数珠がたくさん飾ってあった。
僕のお数珠を見て「でも石って重くない?」と笑っている。
彼の腕にはお数珠などないのだ。

そして僕がタイに旅行に行く直前の事だったのだが、
Bさんはアマンリゾートなどに遊びにいった事を話し、
「でも旅って疲れない?」と笑っている。
そして彼は億ションで優雅に過ごし、
「人のうちに遊びにいくのは余り好きじゃないの」と笑っていた。

人には色々な夢や理想があり、
それが逆に囚われになっている場合もある。
彼はそれをお金で克服した。
と思っているのだと思う。

一方で、A君は、お金とは無縁な慎ましい生活
をしていて、それでも決して優雅とは言えない旅行を
楽しもうとしていた。その事はとてもすてきな事だと思う。
お金というものは本当に厄介なものだと思う。

僕はと言えば、マンションを購入して、
初めて借金というものをして。
でも自分の家を持つのは夢だったので、
それがかなえば心持ちも変わると思っていたのだが、
身銭がないというのは、何とも不安なものだ。

しかしA君から見れば、「都内にマンションを購入して
それなりの大きな企業に勤めている」というたいそうな身分。
本当は旅費の負担もしてあげたかった所だが、出来なかった。

旅の4日間は会社の事もブログの事も、
薬物依存だった自分も、HIVの自分も殆ど思い出す事なく
良い意味で「疲れて眠る」という毎日だった。
斯様に内省的な事を考えだしたのは、帰りの新幹線の中だった。

旅の最中でずっと「今日は平日のラッシュアワーだけど、
東京に比べれば大した事ないよね。東京ってやっぱり異常だよね」
と散々話していて、自然の残る街並を見て来た後では、
正直、東京の汚い街並を見るのが嫌だった。
そんな街にマンションを買ってしまった自分にも、
何となく嫌気がさしていた。

だが、いざ住んでいる町が近づいてくるに連れて、
毎日見ていた景色が何だか違って見えた。

リフレッシュというと
「旅先で見た風景がフレッシュでなければいけない」と
思いがちだが、実は
「旅先から帰ってきたいつもの風景がフレッシュだ」
という事が大切なのだ。

と思うけど、多分あたっていると思う。
旅行代理店のコピーのようだが、あたっていないかしら。

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2008年6月30日 (月)

総務の馬鹿やろう!(なんちゃって)

土曜日。
母親と椿山荘でランチ。
金がないのでちょっと出費が痛かったが、
母親には色々と思い出を作ってやりたい。
いつものように昔話に花が咲く。
昨日は父と三人で夕餉を囲んだが、
いつも聞き役に徹している母親は強い。
僕と二人で話す時も、会話がうまい。
病気の愚痴は一切言わないし、僕の会社の事も
特に意見を述べない。
ただ元気で居てくれれば良い、と言ってくれる。
女性は強いなあ。

日曜日。
パートナーのためにミートソースを作って待つ。
二人で食べて、食後のコーヒー。
そして雨の中ジムへ二人で行く。
ジムには定期的に脚を運べるようになって、
パートナー兼トレーナーの彼には感謝している。
朝起きて電車に乗る事にもだんだんと慣れてきている。

月曜日。
先ほど精神科から帰ってきた。
やはり眠りが浅いのと夢をたくさん見て
疲れる事を陳情し、眠剤が増える。
帰ってきて、会社の団体保険からの封書をあける、

「給与から控除できなかったので○○に振り込んでください」

慌てて、会社の総務に電話する。
とうとう病欠がかさんで無給の状態になっている。
何の通告もない事にも怒りを覚える。
会社なんてくそくらえ、とも思う。
気分が悪いので近くの公園を散歩する。
どんどん気分が落ち着く。

話が変わるが、先日、友人から『秘密』という本を借りた。
昨今流行の「引き寄せパワー」の話である。
お金が欲しい人は、ただただお金持ちの自分をイメージするだけで
お金が向こうからやってくる、というような話だ。
かなり眉唾な話である。
だったら世の中、億万長者で溢れかえっているはずだ。
確かに明るく元気な人の周りには
そういう似たような人が自然と集まってくる、
という事はあるかも知れない。

ただ自分のネガティブな気持ちは何らかの形で
昇華させた方がいいと思っている。
ネガティブな気持ちに囚われるのは良くない事だが
その気持ちをこっそりとしまい込んで
無理矢理明るくシャキシャキとしようとしても
それはそれで精神衛生上よろしくない気がする。

昔、僕はどちらかと言えば毒舌だった。
自分の毒をおもしろおかしく話していれば気が晴れた。
ここ数年は毒舌はなるべくしないようにしている。
「あの人の○○な所は本当に馬鹿みたい」
とか言っていたところを「○○なあの人」とは
付き合わないようにしている。
「人の振り見て我が身を直せ」とはよく言うが、
それは「自分がされて嫌な事は人にしない」とかいう
レベルなら良いけど、我慢が出来ないくらいに○○である人
と居る必要はない気がする。

突然、無給を言い渡されるようなネガティブな気分
の時は、「があぁ〜っ」と怒鳴ってストレス発散。
あと数ヶ月リハビリに勤しんで、
無事復職し、数ヶ月無休で働けば元の生活に戻れる。

なんと喜ばしい事ではないか。
はっはっはっはっ!(ちょっと強がり)

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2008年6月28日 (土)

句読点の打ち方

金曜日。
実家に帰って、なじみの床屋で散髪する。
僕はいわゆるスポーツ刈りなのだが、
3週間に一回は散髪しないと形が保てないので
3000円も4000円もかけるのがもったいない。
だから大体はカットのみの1000円床屋だ。
スポーツ刈りというのは頭の形に添って
「面」を作らなければいけないので、
意外と理髪技術が居る。
で、近所でなかなかなじみの床屋を探せないでいる。

女の子が良く気分転換に髪の毛を切るが、
髪を刈ってもらうと、何となく男前が上がった気がして
どうしてもお披露目したくなる。
それで、二丁目にでも飲みに出ようと思ったが
せっかく近くまで来たので、と実家に寄る。
近くまでいくと、父の車がないので
「しめた、苦手な父と顔を合わせないで済む」と
静かにドアを開けると母が立っていた。

「犬の散歩がしたくて」
「あら、早くいかないとお父さん帰ってきちゃうわよ」

急いで散歩をしたつもりだが、
帰ってくると父が居た。嫌だなあ。

「おい、会社の方がどうなっているんだ」
「うん・・・リハビリ中」

父と顔を合わすと、必ず(当然、僕の)仕事の話になってしまう。
昭和一桁でじゃんじゃんばりばり働いてきた父にとって
男イコール仕事、なのだ。
僕は最近、働くって何なのかなあ?とか
再び悩みだしてしまっていて、父のような
仕事人間を目の前にすると気が引けてしまう。

それでとっとと実家を後にしてしまう。

しかし、近くのスーパーで一服しているうちに
「二丁目にいくには時間が早いな」と感じて
実家に引き返す。実家は土地が高騰していた去年
かなり良い額で売れたらしく、同じ区内の
もう少し山の手の方へ引っ越すのだが、
僕の部屋の荷物が結構あって、
それを片付けろといわれて自室に向かう。

引き出しを開ければ、懐かしい写真や手紙のたぐい
がぎっしり詰まっていて、それを箱に詰める。
この部屋で過ごした数十年の間に
さらに増えた思い出の品もある。
いちいち思い出していると時間がかかりそうなので
努めて事務的に箱詰めをする。
一応、メドがついたので「それじゃあ」と再び実家を出る。

近くのパスタ屋でスパゲティーを食べる。
食べているうちに、何だか二丁目に行って
カラカラと笑っている自分が想像できなくなって
どうせ誰と飲んでも一緒なら、たまには父親と飲んで
みようかと思い、再び実家に引き返す。

「たまには飯か酒でもどう?」
「なんだ、急に気持ち悪いな」
「いや、父の日も何もしてないし」
「まだ早いだろう」

結局父はまんざらでもないらしく
「母を連れて行く」というので三人で居酒屋に向かう。

父はずいぶんと落ち着いてきている自分の事を
誰よりも喜んでくれていたらしく、
「我が家系の存続」とか「家計の拡大」とか「子孫の繁栄」
とかおなじみの文句を交えて大演説をうちながらも、
最後は、「まあ、一緒に飲めるようになって嬉しい」と
老眼鏡を外して目頭を押さえていた。

というような事をミクシィに書いたが、
コメントが付かなかった。
「今から沖縄行って来マース」という数行の日記に
たくさんコメントが付いても、
こういう日記にはコメントが付かない。

父は独善的であり、会話をしていても人の話を聞かない。
「話を聞かない男」の典型である。
でも、彼を一方的にはなじれないような気もする。
男というものはどうしても強くありたいものなのだ。
そのためには些細な会話でも、
相手を論破したりすることに尋常ではない努力を
払ってしまうものなのである。
論破しないまでも、静かな聞き役に徹しつつも
頃合いをみて持論をとつとつと語りだしたり。
ゲイの面白い言葉のやり取りを聞いていても
そこにはゲーム性を楽しむような部分もあり
場の雰囲気で「なんとなく勝ち負けが着いてしまう」
事がある。

それで、父との飲みでは徹底的に聞き役にまわり
一切反論しないでいると、彼は涙を流して喜んだのだ。

世の中には「話を聞いてほしい人」の何と多い事か。
(まあ自分も含めてだが)

ミクシィで坦々と綴った日記にコメントが付かなくても
僕はミクシィを止めようとは思わない。
ただ、ミクシィを楽しんでいる人間が、
何を欲しているのかが分かって興味深い気がするから。
顔を知っているゲイの友人が殆どだが、
「実家に帰ってささやかな幸せを味わいました」などという
日記にはみな興味がないのだ。
その事は僕を少なからず傷つけるが、
「友人とはどうあるべきか」なんて偉そうに言えないし、
そもそもミクシィなんてなくなっても良いと
思っているので、些細な事は気にしない。

楽しんでもいないことを
楽しかったと書くのはアホらしい。
むしろどんな日記にもささやかなコメントを残す。
そういう生き方しか今は出来ない。

会話でも書き物でも、物言いのありようは
句読点の打ち方で決まるのだ。
今は自分からは句読点を打たないようにしている。
何でも良いからキミの話を聞かせて。

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2008年6月27日 (金)

変な人

昨晩は、ちょっと中途覚醒があり、がっかりする。
寝起き前、ヘンな夢もちょっと見たが、気にせずに起きる。
テレビをつけてみそ汁ぶっかけご飯を食べてから
シャワーを浴びて着替えてしまう。
時計を見ると7:45分。
想定出勤時刻にはまだ早いけど、いざ出陣。

会社のある駅の手前まで来て、
「うんうん、これなら大丈夫」とまた自信が。
それで近くのタリーズで
アサイーヨーグルトを飲みながら一服。
この辺りでアルバイトかなんか
探せると良いのだけれど、と少々ふらつく。

で、ジムの用意もしてきたから、
電車で引き返してジムのある駅で降りる。
午前中のジムは空いている。
今日は脚の日にしてレッグプレスから始める。
20kgのプレートが合計16枚だから
台の重さを入れて350kgくらいかな?
まだまだ衰えていない。
ハックスクワット、レングエクステンション、
レッグカール、と順調にだらだらとこなして
最後にカーフの運動。

汗はそれほどかいていないので
そのまま着替えてジムを出る。
今日は床屋へ行こうと思っていたが、
いったん帰る事にする。
残っているみそ汁でまたぶっかけご飯。
今月はパートナーの誕生日があり、
出費がかさむので、完璧に節約モードだ。

ネットをちょろりと見て
買い物に出かける。
お茶のペット×2、米2kg、野菜一日一杯×3、
ヨーグルト500ml×3、豆腐、あげ、バナナ、
レトルトのカレーとパスタソースを6つほど。
5700円の出費。うーん一週間持たせるぞ!


スーパーで老人がゲキコウしている。
店員と何やら押し問答をしている。
どうやら彼の思い違いで、店員はハイハイと
手慣れた様子であしらっている。
最近は変な人が減った気がする。
ちょっとヘンな行動をすると「ドン引き〜」と
敬遠されてしまうからだ。
情報誌で、ミクシィで、携帯メールで
他人が何をやっているのか確認しながら生きている。

他人の事に興味を持つ事は良い事だと思う。
他人とのかかわり合い、迷惑かけたりかけられたり、
そんなこんながなくなってしまっては、人間の人生は
本当に無味なものになると思う。

僕の友人にも「他人の事に興味がない」
という人間が居る。
彼は非常に礼節をわきまえていて、行動も大人だ。
だが、独善的な事が多い気がする。

僕の友人にも赤旗新聞を取っていて、
警察が大嫌いで、「創価学会は死ね!」と街角で叫ぶ
フィストファックが大好きなゲイの友人が居たが、
最近、噂を聞かないところを見ると、どうやら
田舎に帰ってしまったようだ。

偏差値教育の所為で、
「他人をおとしめる事で自分が優位に立つ」という考え方が
流布していると、とあるブログで読んだ。
僕は偏差値というものがどの国のどういう背景で
生まれたのかは知らないが、「偏差値」という言葉
は何しろ日本人の気質にぴったりと合ってしまったのだ。
均質な社会を望む一方で「自分だけは特別」
と思っている人間は多い。

ホモジナイズされていない牛乳のふたには
びったりと脂肪の層ができる。
自然とは、世界とは、本来は府均質な状態が健全
なのだと思っている。
ただし、牛乳瓶の上から半分が脂肪層だったり
しては、これは異常である。
「正規分布」のように大半は普通の人で
たまに変な人がいる、っていうのが良い社会なんじゃ
ないかなあと思っている。

いわゆるニートと呼ばれる人たちの中にも
とんがった人は居るはずだ。
いずれはそういう人が活躍できるような社会に
なっていくと思う。
買っただ負けただと、議論してもしょせんは
「自分は勝ち組」と自負している人間はほんの一握り。
マイナス思考の引き算の人事査定では
「ふざけんな」と思っている人間の方がまともだと思う。

そういう社会に不満を持った人間がたくさん出てきて、
社会そのものをひっくり返してしまう
ような時代が来るかも知れない。
秋葉原の事件は残念だったが、彼の行動に共感して
集まってくる人間も少なからず居ると聞く。

変な人大歓迎。
そんな懐の深い社会が、成熟した社会といえまいか?

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2008年6月26日 (木)

調子が良いので特に書く事もないのだが

昨晩も非常に安定した眠りだった。
朝、5時頃いったん起きた他は熟睡できた。
眠りというものは非常に大切である。
夢をたくさん見て疲弊していた頃は、考え方もネガティブで
何をするのにも意欲が湧かなかった。

という事で、朝起きてすぐに会社のある駅まで
電車に乗って出かけてみる。
ラッシュは結構きついが、何とかなりそうでもある。
会社の前まで言って時計を見ると、一時間と十五分。
家庭を持っているサラリーマンならドア・トゥ・ドアで
この時間ななら文句は言えないのかも知れない。
理想の住まいを選んだのだから、
それくらい頑張れるかも知れない。

近くのスタバでラテをすする。
あとは職場でのイメージトレーニングをして
必要と思われる事を残り3ヶ月で仕上げていきたい。
会社を休んでいるこの数ヶ月間、きちんとした文書を書いたり
交渉ごとをしたり、英語の読み書きをしたり。
そういう事から遠ざかっている。
文書やらエクセル表の作成なんて、
多分何とかなるんじゃないか?
問題は職場で孤立しない事。
やはりコミュニケーションが大事なんだと思う。

これからの3ヶ月でコミュニケーション力を
身につけたいと考えている。
そのためには何らかのグループに参加してみるのが
良さそうな気がしている。
今、ネットで「ボランティア」で検索している。
4月から今まであっという間だったから
ボヤボヤしているとほんのひとときである。
ちょっと焦ってやった方が良いのかな。

いやいや焦らない方が良いのだろう。
焦らず急ぐのはなかなか難しい。

とはいえ、今まで精神科医とのセッションで
指導的な助言は一切なかったから、だらだらと過ごして
しまったが、そろそろ自分から何か路線を
打ち出していかないと
駄目なのだろう。
とにかく社会との接点が必要なのだ。

ブログでは回復の過程を書いているつもりだが、
まあまあのペースで回復してきている気がする。

ジムでもトレーナーと話す機会が増えた。

人との輪を広げる事が大切なんだね。

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2008年6月25日 (水)

晴れのウェンズデイ

月曜日の晩、思い切って眠剤を増やしてみる。
するとなんと、夢も見ずに7時間ほど眠れる。
翌朝目覚めたときにはすっきり気分。
あまりにもよく眠れて、あまりにすっきりと目覚めたので
やる事もなくぐずぐずと寝込んでしまう。

水曜日、朝起きて夢見もなかったので
これは良いと思い、思い切ってジムへと向かう。
午前中にジムに来るのは初めて。
背中の運動を軽くやる。
さてと、と思って帰路につくと、パートナーから電話。
「昼飯でも一緒に食いませんか?」
で伊勢丹まで出向いてうなぎをごちそうになる。
そして、タバコの吸える喫茶店を探すが、
近頃めっぽう喫煙席を設けている喫茶店が減った。
東新宿まで歩いて喫茶店へ。
コーヒーゼリーを食べた後、午後三時に友人と
自宅で待ち合わせているので急いで帰る。

友人とこれまた5時間以上、ビールを飲みながら
たらたらと話す。夕食も二人で作ったりと楽しい。

それで友人を駅まで送って、
ブログを書こうか書くまいか悩んだ。
だって気分が良いから。
気分が良い時はゆっくりと本でも読んで寝た方が良いのでは、
と思って、今日はそうしようと思う。

もし、心配されている方がいらしたら失礼なんで
一応書いときます。
今日は一日、幸せな気分でした。

おしまい。

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2008年6月23日 (月)

禁煙未満

相変わらず、夢をたくさん見て中途覚醒が多い。
昨晩も11時に就寝して、12時半、3時、5時と目覚めてしまい
その都度タバコに火をつけてしまう。
「タバコ一箱千円だと、税収が減る」なんて記事があるが、
千円なら禁煙できそうなんだけど。
分析によれば、やはり千円だと禁煙する人が増えるから、
という事らしい。複雑。

で、今日は精神科の受診の日だったので、
起きて、病院に向かう。
今朝はちゃんと8時過ぎには家を出たから、
出勤したとすると、こんな感じかな。
で、思ったよりも電車が空いていて、
「お、これならいけるかも」なんてちょっとアガル。

中途覚醒が多く、起きるたびに次の夢が嫌な夢になっていく。
その事を担当医に相談する。「困ったねえ」笑っている。
笑い事じゃないのに。で、とりあえず診断書と、
睡眠中無呼吸症候群の検査の紹介状を書いてもらう。
皮膚科。パピローマウィルスのイボイボは殆ど消えている
気がするのだが、「まだちょっとありますねー」と液体窒素。
非常に痛い。で、液体窒素で焼かれるたびに傷口が出来て
湿気の多いこの季節ではかえってよろしくないのでは
とふと思ってしまう。受診は控えようかしら。

薬を受け取ってから昼食。
それから地下鉄に乗って帰路につく。
ふと思って一つ前の駅で途中下車し、
お気に入りの喫茶店でカフェモカを。
振り返ると今日はタバコの数が非常に多い。
イライラしているのかな。
で、そのまま歩いてマンションまでたどり着く。

ネットをちょっとやって、非常に眠いので少し眠る。
非常に浅い眠りで、眠っているのか起きているのか
微妙なところだったが、気づくと一時間半経っている。
今日は雨も降っていないので近所を散歩する。
近くの公園で木々に囲まれて気分が落ち着く。
カルガモのヒナ達が立派に育っていて、
もう成鳥と見分けがつかない。

散歩から帰る途中でDVDをレンタルする。

タバコが多い。

頭が痛い。

で、このブログを書いている。

帰る途中で、作業着姿の日雇い達の姿を見て
「ああ、こういう職業も気楽で良いのかなあ」とか
とりとめもなく考える。
結論は急がないけど、何だかネクタイを締めて
会社に行って、ろくでもない仕事をするのかと思うと
何だか意欲が下がって、復職までのプランを投げ出したくなる。

散歩の途中で、いくつかのお屋敷があって、
「こんな家にはどんな人が住んでいるのかなあ」と
つらつら考えて居たが、
ふと「家族を養うって大変なんだろうなあ」と
思ってしまった。
少子化が進んでいて、周りの若い仲間も
「子供を産んでも、この環境じゃ育児が心配」
とか
「結婚?この収入じゃ養えませんよ!」
とか
何だか世知辛い世の中で、
皆それぞれ苦労しているんだろうなあ。

でも、世の中では
特に悩みもなく、こっそりぬくぬくと生きている人間
もたくさん居るんだろうな、とは思う。
自分の立場を考えると微妙だが、
昨日とはまた思いが変わって、
景気は悪いより良い方が皆幸せなんだろうな
と考えている。

このところ、おつむの回転がすこぶる悪く、
記憶力も低下していて、
「こんなんで仕事できるのかなあ」
と、凄く不安になる事が多い。
それでまたタバコに火をつけてしまって
頭がボーッとした感じになる。
その繰り返し。

今の生活ペースだと時間がありすぎて、
禁煙するのも至難の業だとは思うが、
そろそろ考えても良いのかなあ
とは思いつつ、またバルコニーに向かう
僕なのだった。

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